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サン・ペドロ・デ・ラ・ナーベ聖堂 柱頭彫刻(イサクの犠牲) [初期中世美術]

イサクの犠牲 「創世記」 22:1-19

 

サン・ペドロ・デ・ラ・ナーベ聖堂 柱頭彫刻(イサクの犠牲)

アブラハムは旧約聖書における最初の偉大なユダヤの族長であり、神の命でカナンに赴いた。飢饉を逃れ、エジプトに滞在、その後、略奪者によって低地の町々が襲われ、甥のロトが捕らえられた際、300人を武装させて夜襲を行い、敵をくだしてロトと盗まれた財産を取り戻して凱旋。王にして祭祀者であるメルキゼデクがパンと葡萄酒でアブラハムを祝福する場面は「最後の晩餐」の予型とされる。年老いてから妻のサラが息子のイサクを産む。3人の主の御使がそのことを預言しにくるが、これは「受胎告知」の予型と見なされる。(予型論・・・旧約聖書と新約聖書の間に平行関係を見出す考え方。旧約聖書の主題の中に、新約聖書の「予兆」をみとめる。)アブラハムの信仰を試すために、神は息子イサクを犠牲として火にかけるようアブラハムに命じる。アブラハムはロバに乗り、イサクは祭壇の火のための薪を携えて生贄の場に向かう。アブラハムはイサクを縛り、祭壇の上に横たえて小刀を抜く。まさにその時、天使が現われて、アブラハムの手を押しとどめて言う。「あなたの子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることを私は今知った。」 アブラハムが目をあげると、一頭の牡羊が藪にかかっているのが見えたので、彼はこれを代わりに生贄とした。アブラハムが意図した犠牲は、神によるキリストの犠牲である「磔刑」の予型。薪を運ぶイサクは十字架をになうキリスト、牡羊は磔刑にされたキリスト、やぶの棘は茨の冠の予型。アブラハムは息子イサクを犠牲にしようとした小刀を持物とする。

以下の参考図版はサン・ペドロ・デ・ラ・ナーベ聖堂の柱頭彫刻と文様が一致している点で注目される。
Helmut Schlunk/ Theodor Hauschild : Hispania Antiqua- Die Denkmäler der frühchristlichen und westgotischen Zeit, Mainz 1978より引用。

Jaén. Museo Arqueológico. Gürtelschnalle aus Bronze mit Vogeldarstellungen.


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【年表】 ゴート族・西ゴート王国の歴史 [初期中世美術]

ゴート族・西ゴート王国の歴史

ゴート族・・・スカンジナビア半島南部から1世紀頃南下。3-4世紀に黒海沿岸に拡がる。237年、ローマと接触。小 アジア、キリシアに侵攻。270年に押し戻される。4世紀にはキリスト教アリウス派に改宗。フン族の西進に伴い、西 ゴートと東ゴートに分かれて移動を開始、ドナウ河を渡ってローマ領へと移住。ローマ人から倫理学、論証学、法律 、自然科学、天文学を学んで高度な文化を身につける。

東ゴート王国(約60年間)

フン族に圧迫されて移動。テオドリック王の時にイタリアに入り、493年、オドアケルを倒して東ゴート王国を建国 (東ローマ帝国の宗主権)。ローマ文化を尊重したが、アリウス派信仰のため、統治が難航。526年にテオドリック が没した後、555年に東ローマによって滅ぼされる。

西ゴート王国(約300年間)

西ローマ(395-476)、東ゴート(493-555)と文化的交流

409 ゲルマン民族のイベリア半島侵入(ヴァンダル・スエビ・アラン族)

410  アラリコ(アラリック)王のローマ劫掠 (アタウルフォ王はホノリウス帝の妹ガルラ・プラチディア を奪って王妃とした)

418  トロサ(現トゥールーズ)の西ゴート王国成立  ローマとの封土契約。イベリア半島を入植地に受け取る

429年 ヴァンダル族は北アフリカへ移動

476頃 エウリコ法典公布(最古のゲルマン法典) 領土はアキタニア(南ガリア)に加え、ガリア全土、スペイ ンに拡張。

507  ブイエーの戦い。フランク族に敗退し、アキタニアを失う。

531  ナルボネンセの戦い。フランク族に再び敗れ、ガリアを失う(地方勢力の台頭による王国の弱体化)

587  カトリックへ改宗

711  イスラーム勢力が侵入。西ゴート王国滅亡


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